宇治茶の歴史
鎌倉時代初期、建仁寺の栄西禅師がお茶の種子を中国から持ち帰り、明惠上人に送りました。明惠上人はその種を京都栂尾(とがのお)に植え、その後、宇治にも栽培法を伝えたことが日本での茶栽培のはじまりとされています。
宇治近郊は寒暖差が大きくお茶の栽培に適していたこともあって、茶の湯の発展とともに宇治茶栽培も繁栄していきました。
江戸時代になり、日本独自のお茶の製法「青製煎茶製法(宇治製法)」を完成させたのが、宇治田原に住んでいたお茶栽培農家の永谷宗円という人物です。この製法が全国に広まってお茶の品質が格段に向上したことで、宇治田原は日本緑茶発祥の地として知られることになりました。
現代に続く、「歴史があり品質の高い宇治茶」のイメージは、このような歴史的背景によるものといえるでしょう。
採取・製茶の方法と品質
お茶の収穫(採取)には、昔ながらの手摘みと機械刈りがあります。
手摘みは年一回一番茶だけの採取で、採取後は地上から40~50cmの高さまで枝を刈り落として翌年の春の採取に備えます。
機械狩りは、地域によっては二番茶まで採取します。採取後の秋にはかまぼこ型に刈り揃えられ、きれいな茶園の風景がみられます。
採取回数が増えるほど、茶園やお茶の品質も落ちていくため、手摘みが最高級茶とされています。
また、製茶製法では、いくつもの工程を経て加工される手もみ製法のものが、希少価値があり高級品とされています。
現在は大半が機械になっていますが、永谷宗円が編み出した青製煎茶製法を礎とする手もみ製法の原理をもとに製茶の工程が考案され、品質の高いお茶がつくられています。